自然科学系の考察です。一応数学が私が正式に学問としてかじったことのある分野であり, 人文系社会系よりは正確なお話がしやすいかと思います。
ただし, それでも専門の人にはかないません。厳密には誤った解釈も話すと思います。しかし学問は人間のためのものです。現実にはどうあれ, 学ぶ私たちにとっての視点を忘れてはいけないと思います。単なる事実の紹介, そんなのは学問でも何でもありません。その事実をどう解釈すると面白いか, もしかしたら役立つ学びが生まれるか。そんなことを考えながら書いていこうと思います。
さて, 最初のテーマは「命題」です。
はい。「命題」そのものです。高校で数学を履修した人なら聞いたことがある, 教科書で名前と意味を教わったらだいたいよしの「命題」です。それだけで語りたいことがあります。
というか, 学問というのは誰でも納得できるあたりまえの話をしていたのにいつの間にかとんでもない結論に至るのが面白いところだと思っていますので, 最初は誰でも納得できる簡単な話から始めることになります。
しかし, 実は簡単な話をするのが一番難しいという困った真実もありましてね……頑張って書きますね。
この記事がもたらすもの
- 「命題」の定義とその簡単な解釈を理解できます
- 「真偽が確定する」ことの難しさを知ることができます
- 論理的な話をするための心構えを感じ取っていただけるかもしれません
定義
問題提起
人間一人がもつ力には限界があり, それは自分一人だけの欲望をかなえることすらままなりません。
だからこそ人間は手に手を取り合って生きていくのです。さあ, 隣の人と協力して一緒に幸せになりましょう。
ところが「隣の人と協力」というのがなかなかどうして難しい。なぜ難しいのでしょう。いろいろ原因はありますが, 例えば「話が通じない」というのが困ります。
人間というのは, 違うなと思う言葉を聞くとついつい耳を塞いでしまいがちなのです。
私と彼, 二人ともが幸せになれる方法があるのに, 彼がそれを理解してくれない。そして理解してくれなきゃ彼の協力を得られないのです。彼はこういうのです。「僕はそう思わない」と。
そんな時私は思いました。それは間違っているのだと。彼を思い込みから解き放ってあげねばと。
しかし彼を思い込みから解き放つためには, 彼を閉じ込めている考えに, 心に入り込まなければなりません。外側からどれだけうるさく言っても彼は殻に引きこもるだけ。だから, 彼よりも先に私は私自身の思い込みから抜け出して彼に会いに行くのです。
さあ, 戦いの始まりです。私自身の思い込みから一歩抜け出すと, そこは「命題」の大地に覆われた論理の世界なのです。
一般的な定義
まずは私の意見はさておいて引用します。もし正式な学問の場でしゃべるならこっちを使ってくださいな。
論理学における「命題」
論理学で言う「命題」とは真偽が確定した言明のことであり、例えば「1は偶数である」[注釈 3]「2は偶数である」[注釈 4]などは命題である[12]。これに対して「Xは偶数である」のように不定のXが入ったものを「述語」と言う[13]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%BD%E9%A1%8C
「言明」とは「はっきり言いきること」, つまり「地球は青かった!」などとなんでもいいから言い切っている, その内容そのものですね。媒体は声でも文字でもかまいません。
「真偽」とは言い切った内容が 正しい/正しくない のどちらかということです。
逆に真偽が確定しないとは「ある意味正しいかもしれないけど, こういう見方をしたら間違っている」ということです。例えば「私は今日のお昼ご飯の後にプリンを食べるべきである!」という言明。「食べたほうが幸せになれる!」という意味では正しいです。一方で「そんなことを続けたら太ってしまう!」という意味では正しくありません。こういうのは命題ではないといっているわけですね。
述語という言葉も出てきていますが, 今のところは無視しましょう。
命題を検索したり, 高校の教科書に書いてあることを見たりすると時々現れるのが「客観的に」という言葉。なんか論理学っぽくって頭がよくなった気分になれますね。
真偽を確定させることの難しさ
ところが「真偽が確定する」というものは見た目ではわからないことがあります。
普通は分かる? そうとも限りませんよ?
例えば先ほどの悪い例として書いた「私は今日のお昼ご飯の後にプリンを食べるべきである!」というもの。極端な話をすると「実は私は卵アレルギーだった」とあなたが知っていたらはっきりNoと言えるでしょう? 真偽が確定しているではありませんか。なーんだ, ちゃんと命題じゃないですか。
このように「真偽が確定する」というのは, 言明そのものの内容と同じくらいに, その前提条件が影響してくるものなのです。
逆に「いかにも真偽が確定しそうな言明」であっても, 前提条件が足りないせいでYesともNoとも言えないことがあります。それはなんと, 物理や数学といった世界で実在しています。
当然「難しすぎてわかりっこない」ととある学者さんがあきらめていたものが, 突如現れた天才によって華麗にYesと断言されてしまうことだってあります。
だとしたら「真偽が確定する」というのを定義にしてしまうと困ってしまいませんか? ぱっと見で「これは調べても無駄だからあきらめよう」なんて判別ができる人はもはや天才です。普通はそんなのわからないのです。だから, 命題かどうかもぱっと見で分からないということになってしまうのです。
今書いている「命題」は論理の世界の最初の一歩。誰でも納得できるような簡単な話にしなければなりません。それなのに「真偽が確定するか」などと難しい話があってはいけないのです。誰もが直感で「これは命題!」と分かって, そしてそれが正しくなければいけません。
私が考える解決法
ではどうすればいいのか。私の提案をお話ししますね。
命題とは, 十分に条件を与えたときにその真偽のうちいずれか一方だけが認められるような言明のことである。
こうしてしまうのです。
つまり「前提条件が不足していて真偽が確定しないかもしれないけど, 別にいいじゃん! アレルギーだとかなんだとか条件がくっついたときにYes/No言えればそれでよくない!?」ってことです。
つまり, ペアノの公理下におけるグッドスタインの定理も命題の一つだと言ってあげるわけです(わからないのが普通なのでスルーしよう!)
あ, ちなみに「この文は間違っている」という言明は命題と認めません。条件を付け加える前から真も偽も否定されますから。この手の話はまた別の機会にしましょうかね。
あいまいを受け入れて, ともに深め合う
先ほどの私の提案を受け入れてもらうと, 日常的なあいまいさを含んだ言葉は全部命題になります。
「きのこはたけのこよりも優れている」
という宣戦布告も命題です。「優れている」というあいまいな言葉をはっきりさせるための条件が入ればYes/Noが確定します。
例えば「チョコレートが多い方が優れている」という条件を入れればきのこの勝ちでYesとなります。「国民大調査2020でたくさんの愛を獲得した方が優れている」という条件を入れればたけのこの勝ちですからNoとなります。
そして, そういう条件について話し合うのも立派な論理の話だと思うのです。
「どちらが優れているなんてあいまいな言葉, 話にならない!」と言って耳を塞いでしまわないこと。「どうしてあなたはきのこの山が優れていると思うの?」「どうしてチョコレートが多いと優れているの?」そんな問いかけを繰り返すことで, あなたも彼も考えが深まります。戦争は終わらないかもしれませんが。
思い込みにとらわれている人を説得するにはまずは彼の話を「それは命題だ。大切な話だ。」と認めてあげなければなりません。どんなにあいまいな言葉だったとしても一度は全部聞きましょう。そして彼の持っている前提条件について話し合いましょう。会話を始めなければ分かり合うことなんてできませんよ。
まとめ
多分, ここでお話しした命題の話は相当マイナーです。藪医者の処方箋みたいなものです。しかし, そう解釈することで生じる不具合を私は知りません。もしもまずいことがあったら教えてくれると助かります。
そんなリスクを冒してまでヤバい橋を渡ったのは皆さんに伝えたいことがいっぱいあるからです。
「自分が知らない前提条件におびえて会話をあきらめるのはもったいない!」
「あなたにはあなたの前提条件がある! それってすっごく大事だからできる限り言葉にしよう!」
「真偽が分からなかったとしても, 一生懸命考えたならそれは立派なことだよ!」
命題というのは論理, もっと言えばすべての学問の礎なのです。だから命題には学問に相対する一番大切な心構えが詰まっていると思います。
しかし私のつたない話では, 全然伝えきれていないことも自覚しています。それはこれからいろんな話を通じて少しずつ考えていければなと思っています。
よろしければ, また話を聞きに来てくださいな。

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