学校のテストの謎ルール 教育か自己満足か

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ちょくちょくX上でバズる, というか炎上するテーマとして学校ネタがあります。皆さんは見たことがありますか?

例えばそうですね。

  • 書き取りが主題のテストではないのに とめ/はね/はらい で減点する
  • かけ算の順番が違うから不正解にする
  • 「ノート」をひらがなで書きとるとき「のおと」は不正解で「のうと」が正解

皆さんはどう思いますか? 完璧に理解することができたら, もしかしたら先生の才能があるのかもしれません。

日本という国は素晴らしいもので識字率99%。そうでなくてもX民は識字率100%のはずです。ではその人たちはどこで文字を習ったのでしょうか。
そう, 学校ですね。
そんなところで健気に勉強する子供たちへ襲い掛かる理不尽。

まさにX民全員の心のふるさとの危機が報じられたに等しいです。炎上するに決まっているじゃないですか。

今回は「学校のテストの謎ルール」と題しまして, そこに潜む問題を明らかにしてまいります。

この記事がもたらすもの

  • 学校のテストの謎ルールについて理解を深めることができます
  • 子供が筆算をするときに定規を使うよう義務付けることの是非を考察できます

導入

問題提起

冒頭で話した通り, 学校のテストの謎ルールには様々なバリエーションがありまして。
今はどんな問題が話題になっているかと申しますと。

小学校算数テストで筆算の手書き線に減点 満点のはずが6点引かれる

最終更新: 22 時間前

テストには9×589や13×91などの筆算問題が並び、全問正解で赤点がついていたが、最下段に「線はじょうぎで!」と先生のコメント。多くの声が「計算正解なら満点でいい」「理不尽」と批判する一方、少数が「ガタガタ線だとミスしやすいから習慣づけ」と擁護した。文部科学省の学習指導要領では定規使用を義務づける記述はなく、学校ごとのルールだとわかる。この出来事は、きれいな書き方と計算の本質のバランスをめぐる考えを浮き彫りにしている。

このストーリーは、Xのポストの要約であり、時間の経過とともに新しくなります。Grokは間違えることがあるため、アウトプットが事実かどうかを確認してください

https://twitter.com/i/trending/1997885288127812023

「筆算の書き取りに定規を使わなかったら減点」というものです。

記述されていない背景情報は大量にあるので, 良し悪しを一言で断言するのは難しいでしょうが, 皆さんも何か思うところはあるのではないでしょうか。どのような印象を受けましたか?

話題の発端

学校は良くも悪くも閉じられた場なので, この手の話題は教員か保護者か子供自身が発端になります。
体感, 教員と保護者からのポストが多い一方で子供自身からの告発はレアだと思います。

件の採点をされたテストや宿題を生徒が保護者に見せてびっくりした保護者がポスト, もしくはその保護者からクレームを受けた教員がポストする構図です。
保護者は問題提起する側なのでよくない感情を持っていることが多いですが, クレームを受けた教員が「この指導は不適切だと思うが仕方がない」という意見を言っているのをあまり見たことがなく, ポジティブな意見を持っていることが多いです。むしろモンスターペアレントだという論調を見せることもしばしば。それが正しいかはさておいて, 教員が自ら採点基準をコントロールしてこうなっていると推察できます。

ちなみに今回のポストはこれですね。保護者からのポストです。

論点の整理

教育的に正しいかに収束する

ここで厄介なのは「学校は教育の場である」ということです。これにより「どうすれば子供の将来がよりよいものになるのか」という, 絶対に答えが出てこない目標が掲げられてしまい, 「子供の将来のためにこういう指導をしました」といえば完全否定することが難しくなってしまいます。

例え正確でなかったとしても「そう考えておくと便利だから」と「小さい数から大きい数をひくことはできない」と教えます。
例え合理的でなかったとしても「この体験自体が生徒の経験として生きるから」と「将来農家になる気のない子供にも芋ほりを」やらせます。
学校はそれが許されてしまう世界なのです。

X民たちはいまそのブラックボックスに火をくべています。通用するルールは「教育」つまり「子供の将来がよりよいものになるのか」です。実際数多くのポストは最終的にここにつながります。

今回見られた意見

さて, 今回の「筆算の線を定規で引かなかったからマイナス6点」に対する意見をピックアップしていきましょう。

  • ポストには書かれていないが「教員が事前に指示したこと」だとしたらやらなければならない
  • 「教員が事前に指示したこと」と仮定してそれ自体が不適切である
  • 筆算の線を定規で引かせることは学習指導要領に記載されていない
  • 定規を使うことで計算速度が落ちる
  • 定規を使うことできれいに計算式を書くことができてミスが減る
  • 算数学習課程の本質的なところ以外で評価すると, 生徒の価値観がそちらに偏り数学苦手な生徒ができる
  • 本質的なことを理解している生徒の自己肯定感を下げる

定規指導の是非

結論を言います。私は「筆算の線を定規で引かなかったからマイナス6点」に反対です。ええ。私的にはこの問題, 珍しく完全否定できるパターンです。

筆算に定規は必要ない

まず「正確であること」「合理的であること」ならばそれだけで教育的価値の可能性があります。実用的なことなら生徒は直接自分の人生に生かす武器にできますからね。それを検証しましょう。

といっても「初期の筆算指導現場以外」で人が筆算に定規を使う姿を私はこれまで一度たりとも見たことがないので, 最終的に実用性はないと断じることができます
実際X民が指摘していた「計算速度が落ちる」という弱点が大きすぎます。これは本当にどうしようもないデメリットである一方, 「ミスが減る」というメリットは定規を使わずともほぼ完ぺきにカバーが可能です。
そして現実世界で筆算をしなければならないときは「紙とペンだけで計算したい」という場面のはずです。極端なことを言えば, 大学入試では定規持ち込み禁止されることもあるので定規に依存するのは絶対にダメです。そうでなくても「専用アプリやデバイスを使わずにさっと計算するか」という場面で活躍するのが筆算ですから取り出す道具は一つでも少なくしたいはずです。定規を出すくらいならスマホのアプリを切り替えます。

というか現代において筆算が最も生かされるのって「割り算の筆算」のような型にはまった計算手法ではなく「現場に合わせたオリジナル筆算」なのです。「一定の計算手続きによってほしい値が出てくるのは経験則上わかっているんだけど, 専用プログラムを立てるほどでもない」という問題に対して視覚的な補助を得ながらスラスラ計算を進められるという点が最強なのです。だからなおさら定規など取り出している場合ではないのです。スピード最重視です。

子供にとっての合理性もない

先の議論はあくまでも「筆算そのもの」の現実を見たものでした。それで説明がつかないので次に注目するのは「成長途上の子供にとっての合理性」です。

例えば「ミスが減る」というメリットはここでこそ大きく主張されるものだと思います。びっくりするくらいノートが汚い後輩いますからね私にも。それでミスったといわれても「まずはきれいに書きなよ」としか言えないわけです。

でも, です。筆算の定規って計算ミスを減らすことに寄与しないのですよ。「きれい」=「ミスが減る」という変換をしている人, 冷静になってください。筆算のミスの原因は何ですか?

  • 桁が揃っていなくて間違える
  • 繰り上がりと繰り下がりが正しくなくて間違える
  • 数字が汚くて間違える

この中に横線がきれいに書かれることで防げるミスがないのです。
桁間違いがそれっぽく見えるかもしれませんが, それなら書くべきは縦線です。
きれいにノートをとっている人は自分の常識を疑ってくださいね。そもそも書き方のせいで桁をミスする子供ができていないのは「上下の文字や線に対して位置や向きを合わせて書く」ということです。「横線がまっすぐ引かれる」というのは「上に書いた数字にピッタリ沿わせて次の数字を書いて, その数字にピッタリ沿わせて横線を引いた」という結果に過ぎないのです。
それなのに「横線が定規できれいにひかれた」という事実を無理やり作っても, その上に書かれた数字のずれやゆがみがさかのぼって矯正されるわけがないのです。むしろ, だんだん斜めに傾いていった数字に合わせて横線も斜めになっていくでしょう。こんなので改善されるわけがないのです。

筆算における横線の役割は「数字の属性分け」です。この線があることによって筆算から一時的に目を離したとしても次に行うべきは「たてかけ」なのか「ひきおろし」なのかを一瞬で判別できるようになっているのです。つまり「横線が2行ごとに引かれること」が大切であり「まっすぐ引かれること」はどうでもいいのです。

理屈で制圧された者が最後に縋る希望

そして「筆算の線を定規で引かなかったからマイナス6点」を擁護する人は最後にこう言います。

社会にでたら、どんなに必要性に疑問あっても、小学校だからやなく、やらなアカンで。

https://x.com/t7NFtWbwppPyGQ4/status/1997774114518716761

これ私, だいきらいなのですよ。

いいですか? 今回の議論は「筆算の線を定規で引きなさいという指導そのものが妥当か」というところですよ?
「これがルールなんだから守りなよ」というのは「学校に通う生徒」へ向けるべき言葉であって, 「そのルールが適切か」という問題提起に対する答えしては的外れとしか言いようがないのです。これを「論点のすり替え」といいます。そもそもこの問題提起をしてきたのが生徒でなく保護者なのです。

それがまかり通るなら「教員は何をしてもいい」ということになってしまいます。それが例え体罰であったとしても。だって, そういう組織なのでしょう? ルールなのでしょう? あらかじめ「遅刻したらグラウンド1周」と決められているのだから走らなきゃダメじゃないですか。嫌なら遅刻しなければいいだけです。
体罰が特別いやというならこういうのはいかが? 「次の漢字テストは全部ここから出す。満点を取れなかった者は部活には行かせない。教室に残って書き取り練習しなさい」という指示。コンプライアンスには違反しませんよ? 納得できますか? さらにそこで とめ/はね/はらい で落とされたら?

そんなの子供が許しても親が許しません。ただの教員の自己満足とみなされるでしょう。私が指示したのだから当然守られなければならないという思い上がりでしょう。だから学校のルールには, それとして定められているということを超えた正当性が何かしら必要なのです。

「その正当性を子供にはあえて黙っておく」ことと「そもそも正当性などない」ことは天と地ほどの差があります。月と鼈です。子供の知能を舐めてはいけません。

まとめ

先述の論点以外に「子供の感情や価値観への作用」も考えるのですが, 今回は全くいい話がなかったので省略します。

冒頭に申し上げた通り, 多くのX民は心のふるさとを荒らされてムカついているだけかもしれません。その一方で教員が「よそ者が知った口を利くな」と言っているだけかもしれません。

そんな愉快な炎上ネタなのですけど, 私はちょっとした思いを持っています。

子供が学校という組織で等身大の視点を頼りに勉学に励まなければならないのだとすれば, その外側の視点を持つ我々は子供が適切な教育を受けているかを検証する義務があります。子供には選択肢がないからこそ, 私たちがその唯一の道を保証する責任があるのです。

載せるなとか言っている人いますがいいじゃないですか。受け止めましょうよ。

さあ! 子供たちの将来のため! 日本の未来のため! 楽しいレスバをしようではありませんか!

あ, 私はへいわしゅぎしゃなのでレスバを観戦しているだけです。

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